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橋本センタービル,天満橋,賃貸,事務所

​橋本センタービル

No.1​

No.2​

No.4​

No.3​

No.5

No.6​

​オーナーのおススメスポットを紹介します!!

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大阪城
​No.1 大阪城

大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、安土桃山時代摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在する。別称は錦城(きんじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。

大阪取引所
​No.2 大阪取引所

難波橋 ( 通称・ライオン橋 ) の南東に建つレトロ建築で有名な大阪取引所 (旧大阪証券取引所)。

円筒形の壮大な白亜の外観と、ステンドグラスが美しい玄関ロビーが特徴。

昭和10年(1935)に竣工。

取引所は、江戸時代初期にその起源を遡る。

承応・寛文年間 ( 1652~1673 ) の頃、全国各地の諸藩は大阪に蔵屋敷を設け、年貢米を回送・貯蔵し商人に売却したが、その中で最も有力な商人であった淀屋は現在の淀屋橋の南詰めに居を構え、盛んに売買を行ったことから、次第に他の商人たちも集まりおのずから一つの市場を形成。

後に、これが「淀屋米市」と称され、日本の証券取引の始まりと言われる。その後、この市場は対岸の堂島に移され、享保15年(1730年)幕府から公許、堂島米会所と呼ばれるようになる。

当時は帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が主であり、世界初の組織化された先物取引所としても有名。

里程元標跡
​No.3  里程元標跡

江戸時代諸街道の里程計算の起終点は、高麗橋の東詰であった。

ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となった。

明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。

その後、道路法の制定で国道ルートの整備がされ、大正11年には現大阪市役所前に設置された。さらに昭和27 年新道路法が成立(このとき、東京-大阪間国道2号が1号になった)、現在は道路元標として梅田新道交差点西北角に移されている。

また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。

なお高麗橋は大阪で最初の鉄橋(明治3年)である

大阪銀座跡
​No.4  大阪銀座跡

銀座の起源は慶長3年(1598)、

徳川家康が伏見に銀貨鋳造所を設けたのに始まる。

ここでは銀の品位を決め通貨を製造したが、同13年には京都に移された。時を同じくして大坂に銀座がおかれたが、通貨の製造はしなかった。

主に生野・石見(いわみ)銀山の産銀や、粗銅から抽出した銀を京都に回送する役割を担ったようである。

江戸の銀座は、慶長17年(1612)駿府(すんぷ)から移されたものである。

江戸時代は金貨と銀貨が併用されていた。当時の公定レートは金1両に対して銀60匁(1匁は3.37㌘)。

しかし、銀貨は徐々に使われなくなり、明治維新を迎えて政府が貨幣制度を円建てに統一したことから、大阪の銀座も役割を終えたのである。

釣鐘屋敷跡/大阪町中時報鐘
​No.5  釣鐘屋敷跡/大阪町中時報鐘

1634年(寛永11年)、3代将軍徳川家光が二条城から、船で大坂城へ入りました、この時、三郷惣年寄などが将軍を今市(現旭区今市町)に招待して、酒樽・鰹節を献じ、祝賀の意を表したところ、将軍は喜んで大坂町中の地子銀(じしぎん)(固定資産税)の永久免除を約束しました。


それに感謝して三郷惣年寄が協議して釣鐘を造らせて町中に時報を知らせるようにしたのです。
この鐘楼は明治3年撤去され、釣鐘は大阪府庁屋上に「大阪町中時報鐘(おおさかちょうちゅうじほうしょう)」として保存されていましたが、昭和60年地元有志の努力によって、再び元の釣鐘屋敷地へ戻され、日に3回鐘の音をひびかせています。

1970年(昭和45年)「大阪府有形文化財 工芸品」の1号に指定されています。


三郷とは:江戸時代大坂は大坂町奉行の支配のもとに北組、南組、天満組に分れ大坂三郷と呼ばれていました。
惣年寄(そうとしより)とは:江戸時代の町役人の上級者

八軒家浜船着場跡
​No.6  八軒家浜船着場跡

天満橋と天神橋の間の南側にあり、平安~鎌倉時代、付近一帯は「渡辺津」と呼ばれ、京から舟で下った熊野詣の一行はこの地から陸路を歩んだという。

江戸時代には「八軒家浜」と呼ばれ、三十石船で淀川と伏見との間を往来し、荷客輸送にあたった過書船の発着場として賑わっていた。「八軒家」という地名の由来は、昔ここに八軒の船宿があったという説と、八軒の民家があったという説などがある。明治に入ると外輪船が登場し、所要時間も短縮されたが、鉄道の出現で船による旅客の輸送は終ったが、船の貨物輸送は昭和20年ごろまであった。

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